2010年12月09日
12月8日、昨日は・・・
昨日、12月8日は現在も多くのファンを持つ「ビートルズ」の「ジョン・レノン」が射殺された日。今年で30年になるそうです。
30年前の12月8日、22時50分に撮影の仕事を終え、自宅アパートへリムジンで妻ヨーコと帰宅したレノンはアパート前の階段でマーク・チャップマンと言う当時25歳の男にリボルバー・チャーターアームズ・アンダーカバー(サタデーナイトスペシャルとして有名)で5発をジョンの胸を中心に撃ち込み、内4発を命中させられ死亡しました。
撃たれた直後はジョンは生きており、意識もあった(撃たれた時に「I'm Shot!」と叫んだそうです)そうですが、病院搬送後懸命な治療も空しく23時過ぎに失血によるショックにより亡くなったそうです。
犯人マーク・デイヴィッド・チャップマンは午前中にもジョンのアパートでジョンに会っており、その時はレコードのジャケットにサインを貰い、会話もしている。その姿はジョンに同行していたカメラマンにより撮影されており、この写真は皮肉にもジョンの生前最後の写真となったそうです。
チャップマンは当時、「熱烈なビートルズファン・ジョンレノンファン」と言われてましたが、これ以前にもボブディランのストーキングなどの行為が確認されていたり、殺害後に逃げもせずに現場で本(ライ麦畑でつかまえて)を読んだり、その場でそわそわしたりと奇行を見せ、警察により逮捕された時も少々ずれた会話をしていたりと精神疾患を持つ精神病患者だ、と言うのが現在の定説となっています。
ただ、非常にショッキングであり、奇妙な点が多かったこの事件は当時、CIA陰謀説・FBI陰謀説などの政府陰謀説やフリーメーソンが黒幕として関与しているなどと言ったウワサが幾つも飛び交い、現在も真剣に論じる人が居るほどです。
政府陰謀説として上げられる説として良く言われているのが「ベトナム戦争」と「ラブ&ピース」。ベトナム戦争は皆さんご存知の通り、米国内での反戦の機運の高まりもあり最終的には米軍は撤退していますが、この反戦運動「ラブ&ピース」の当時の代表的な存在であったジョン・ヨーコ夫妻を疎んじた政府組織(CIAともFBIとも)により暗殺されたのだ、と言うわけです。
しかしベトナム戦争の実質的な決着は1975年4月のサイゴン(ホーチミン)陥落、ジョンの殺害が1980年12月、5年以上も経ってから、暗殺する、しかも一人の若者(チャップマン)を暗殺者に仕立ててまで行うとするのには真っ只中ならまだしも少々考え辛いのでは?と思ったりします。これが個人なら「怨み」と言うのも有りうるでしょうが、政府が暗殺した、と言うのはちょっとツライと思います。
支持者はジョンが翌年1981年にアメリカの永住権を取得する申請が可能になると言う点を上げていますが・・・。
どちらにしても30年前、歴史的なミュージシャンの一人が銃により射殺された、と言う痛ましい最期を遂げたことは事実です。
謹んでご冥福をお祈りいたしましょう。
30年前の12月8日、22時50分に撮影の仕事を終え、自宅アパートへリムジンで妻ヨーコと帰宅したレノンはアパート前の階段でマーク・チャップマンと言う当時25歳の男にリボルバー・チャーターアームズ・アンダーカバー(サタデーナイトスペシャルとして有名)で5発をジョンの胸を中心に撃ち込み、内4発を命中させられ死亡しました。
撃たれた直後はジョンは生きており、意識もあった(撃たれた時に「I'm Shot!」と叫んだそうです)そうですが、病院搬送後懸命な治療も空しく23時過ぎに失血によるショックにより亡くなったそうです。
犯人マーク・デイヴィッド・チャップマンは午前中にもジョンのアパートでジョンに会っており、その時はレコードのジャケットにサインを貰い、会話もしている。その姿はジョンに同行していたカメラマンにより撮影されており、この写真は皮肉にもジョンの生前最後の写真となったそうです。
チャップマンは当時、「熱烈なビートルズファン・ジョンレノンファン」と言われてましたが、これ以前にもボブディランのストーキングなどの行為が確認されていたり、殺害後に逃げもせずに現場で本(ライ麦畑でつかまえて)を読んだり、その場でそわそわしたりと奇行を見せ、警察により逮捕された時も少々ずれた会話をしていたりと精神疾患を持つ精神病患者だ、と言うのが現在の定説となっています。
ただ、非常にショッキングであり、奇妙な点が多かったこの事件は当時、CIA陰謀説・FBI陰謀説などの政府陰謀説やフリーメーソンが黒幕として関与しているなどと言ったウワサが幾つも飛び交い、現在も真剣に論じる人が居るほどです。
政府陰謀説として上げられる説として良く言われているのが「ベトナム戦争」と「ラブ&ピース」。ベトナム戦争は皆さんご存知の通り、米国内での反戦の機運の高まりもあり最終的には米軍は撤退していますが、この反戦運動「ラブ&ピース」の当時の代表的な存在であったジョン・ヨーコ夫妻を疎んじた政府組織(CIAともFBIとも)により暗殺されたのだ、と言うわけです。
しかしベトナム戦争の実質的な決着は1975年4月のサイゴン(ホーチミン)陥落、ジョンの殺害が1980年12月、5年以上も経ってから、暗殺する、しかも一人の若者(チャップマン)を暗殺者に仕立ててまで行うとするのには真っ只中ならまだしも少々考え辛いのでは?と思ったりします。これが個人なら「怨み」と言うのも有りうるでしょうが、政府が暗殺した、と言うのはちょっとツライと思います。
支持者はジョンが翌年1981年にアメリカの永住権を取得する申請が可能になると言う点を上げていますが・・・。
どちらにしても30年前、歴史的なミュージシャンの一人が銃により射殺された、と言う痛ましい最期を遂げたことは事実です。
謹んでご冥福をお祈りいたしましょう。