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2011年01月23日

SAS

SAS さて、知っていてもあんまり人生において得はしない、ムダな薀蓄(うんちく)コーナー。
 今回から何回か(知っている限り、とも言う)、みんなが大好き、特殊部隊のお話をして見たいと思います。
 基本ネットなどでちょっと調べればすぐ判る程度の浅い知識ですので、その筋(どのスジ?)の方はへそで茶が沸くわ、と言われそうですが、まあ、お付き合い下さい。

 記念すべき第一回はSAS。英国が誇るかつて西側最強と謳われた現代特殊部隊の祖です。






S.A.S
 イギリス陸軍特殊空挺部隊、通称SAS(Special Air Service)。正式名は第22SAS連隊。
 第二次世界大戦中、「砂漠の狐」で有名なドイツの「ロンメル将軍」との北アフリカ戦線での戦闘時に誕生したのが最初でした。
 上記の通り、元々は空挺作戦を前提に組織しましたが、空挺作戦はあえなく失敗。制空権も無く、独自の航空戦力も無い為すぐに陸上作戦部隊に切り替えられました。
 発足当初、彼らは極少人数の寄せ集めに過ぎず、今の様なエリート部隊でもなく、部隊名SASも「SAS旅団L分遣隊」として上に大規模な部隊がありその一部で有るかのように装うなど、今のSASからは想像できない様なものでした。。
 そんな彼らの当時の作戦スタイルはジープやトラックに機関銃を括りつけて乱射しながら敵航空基地に殴り込みをかけ、ともかく周り中に撃ちまくり、爆弾を投げ、火炎瓶を投げ、敵航空機をぶっ壊す、と言う荒っぽいもの。時には手斧片手に飛行機に飛び掛ってともかくぶっ壊すだけぶっ壊したらさっさと逃げる、と言うある意味滅茶苦茶なものでした。
 しかしこの滅茶苦茶な奇想天外な作戦は以外にも効果を挙げ、最終的には300以上の飛行機に損害を与えドイツ軍に痛手を負わせました。
 このことにより、イギリス軍上層部は「少人数による特殊工作部隊の有用性」と言う認識を持たせた、と言われています。

血で血を洗う報復の連鎖
 世界大戦後、SASは一度解散させられますが、その後マレーシアでの植民地紛争に際し再び編成、ここに第22SAS連隊として正式に組織されます。
 組織された直後はそれほど目立つ存在ではありませんでしたが、1960年代に入りIRA=アイルランド共和軍暫定派によるテロの激化からCRWウィング(Counter Revolution War―対革命戦)が編成され、IRAとの対立が激化していくことからその名を世界に轟かせるようになります。
 SASとIRAの戦闘はテロに対し、その報復、その報復に対する報復、と連鎖し続け激化の一途を辿ります。
 当時SASはIRAを「抑制」するのではなく「鎮圧」する方針を採りました。鎮圧とはすなわち制圧であり、IRAテロリストは見つけ次第片っ端から射殺するような荒っぽさでした。
 戦闘とは片方が過激化すれば反対側も過激化します。あとはお互いにより過激化を続け歯止めが利かなくなっていく・・・まさに血で血を洗う報復合戦の様相を呈して言ったのです。
 皮肉にもこの凄惨な殺し合いの最中でSASは対テロ戦闘や各種の活動のノウハウを蓄積して行きます。まさに実地の中、多くの仲間と敵の血と肉による技術の研鑽でした。
 この報復劇は1990年代にIRAが闘争から政治的解決へ路線変更したことでようやく終息を迎えます。2005年、IRA軍事協議会により武力放棄と平和路線の選択の宣言をもって現在は対話路線となっています。
 IRAとの闘争中、SASはもう一つの凄まじい戦場を経験します。
 それはアルゼンチンとイギリスとの間で起きた「フォークランド紛争」です。
 この紛争は西側諸国間で世界大戦後に起きた始めての本格的な戦争であり、主だった近代火器・兵器の激突となった戦闘でした。
 立地的にも上陸作戦などの多大な犠牲が発生する戦闘が多く、実際に凄まじい量の犠牲が両軍に発生した内容で、当時の状況は前を歩く仲間を盾に前に進むような悲惨なものでした。
 この紛争の経験とIRAとの抗争と言う2つの事実がSASを世界でも稀な、豊富な実戦経験を持つ強力な部隊へと育て上げたのです。

世界最強の特殊部隊
 SASの実力は世界最強といわれていますが、隠密行動が常の特殊部隊だけにその実体は中々表には出てきません。
 90年代の湾岸戦争ではイラクのミサイル基地の破壊工作などを行ったとも言われています。
 そんな実力の一旦を見せ付けた事件の一つが1980年にイギリス国内で起きたイラン大使館占拠事件です。
 4月の末、アラブ系テロリストを名乗る6名のテロリストがロンドンのイラン大使館を占拠。職員数名を射殺し、居合わせた他の職員・民間人25名を人質に立て篭もると言う事件が発生しました。
 彼らテロリストの要求はイラン国内の同士91名の釈放と逃走用の飛行機の準備を要求し、要求が受け入れられない場合は大使館を爆破すると脅してきました。
 警察による交渉により一時は人質5名が解放されるなど平和的終息も期待されましたが、事態は突如急変。広報官が射殺され窓から投げ捨てられ「要求への返答があるまで30分ごとに人質を射殺する」と通達してくる、逼迫した状況となります。
 この事態に当時の英国首相マーガレット・サッチャーによりスコットランドヤードからSASへ現場指揮権の移譲。SASによる人質救出作戦が開始される事となりました。
 即日SASは現場にて展開、レッドチームとブルーチームの2チームによる人質救出作戦「ニムロッド」が開始されます。
 レッドチームが屋上より、ブルーチームが1階窓より突入。
 途中レッドチームがミスからラペリング中に宙吊りになるなどのアクシデントもありましたが、ブルーチームがテロリストリーダーともう1名をまず射殺、2階から突入したレッドチームはバリゲードに阻まれ、その間に人質1名が射殺され2名が負傷しましたがテロリスト3名を射殺、残った1人は人質に混じって逃走を図りますが拘束され、この作戦は終了しました。
 発動から終了まで僅か15分と言う圧倒的なスピード。途中のレッドチームのアクシデントに対しブルーチームが即座に柔軟にフォローの対応を見せるなど、その実力の高さを見せ付けるものでした。
 この事件で人質にBBC職員が2名含まれていたことからBBCにより突入の模様が大きく取り上げられ、世界にSASがそのベールの一部を脱いで見せた事件となりました。

SASの隊のモットー:「Who Dares Wins(危険を冒す者が勝利する)」

 今回はこんなところまで。次回もあれば、またよろしくお願いします。




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